みんなのブログ - 境界線を壊す

海を越える看護団

境界線を壊す (2019-7-10 14:07:05)
私のミッションは 既存の境界線を消すことがその役割 国境! 人種! 宗教! 人が作った様々な制約! 貧富の格差による運命! と、ふと、言葉が脳裏に浮かんできた。 多くの日本人の親は子どもを否定的に育てるのが当たり前だった。貧しい時代や生活するのが大変な国々ではそういう考えが一般的になってしまう。そうしなければ生きていけない、社会全体で協力し合わなければ生活基盤が維持できないそういう国々では、子どもたちは否定的に育てられる。 それは現実を知る大人たちの人生そのものの投影だったのだろう。 大志を抱けと子どもに教えたところで、大人達はろくな助けなどできはしなかったのだから。 誰もが肩を寄せ合い協力しながらやってきた。人類のそういう時間が如何に長かったことか。 かつての日本のように、あるいは中国やロシアのような食糧すら十分供給できなかった国々は大人達の可能性も子どもたちの可能性も多くは否定されながら育てられたのだ。 アメリカで自己啓発や肯定的な指導が盛んになったのは当たり前なのだと思う。アメリカは、この70年位の長い間、どこの国々よりも豊かで食べる事には不自由しなかった。そういう人々だから子ども達の可能性も否定せずにやれたのだと思う。もちろん、大人達も自らの可能性も肯定的に捉えられたのだと。 でも、 しかし、 時代は変わったのだ。 もう日本人達は十分豊かになって40年位は経っているんだろう? 変わったのに、相変わらず昔の貧しかった時代の子育てや他人への評価をしているのではないのか? 限られた環境や条件のなかで最高の成果を目指し人間の能力を作り上げていくという、日本の得意とするあり方は、既にこの時代にはミスマッチしている。 理由は二つ。 一つはイノベーションのスピードが人の能力アップのスピードを超えている。そして、もう一つは世界は狭い日本だけで動いてるわけではなくなり、何十億もの人々が連動して動く時代となり、限られた環境や条件の範囲が既に何十倍にも広がっているから。 なのに、日本人は相変わらず昔のままの、貧しかった長い歴史の考え方や文化が人々のあり方に幅を効かせている。 学校教育や職場環境、女性の地位や労働、あるいは少子化の問題でさえ同じように古い考えが人々の意識のベースにあり、それが人々の人生を、そしてこの日本という国を弱めていってると思う。 子どもが電車やバスの中で泣いているだけで腹を立てている大人達がいる国に未来などあるわけがない。 未婚の子どもを持つことが罪の意識を呼び起こす国に少子化など止めれるわけはない。 どこの利権か不明だが、高齢者に大量の医療費を注ぎ込み、若い人々の教育を無償化できない国に未来はあるのだろうか? 自分の人生を振り返り、そして自分の成してきた事を振り返ったとき、私は何をしてきたのか?何をしていきたいのか、本当は? 自問自答してみた。 そしたら、 私のミッションは 既存の境界線を消すことがその役割 と脳が答えてきた。 医療の世界はまだまだ、貧しい国では酷いものだ。 子どもが簡単に死んでしまう。 そんなに簡単に殺すならば、国家や免許の壁を取っ払ってくれればもっと人々は助かるのに、と思う。 なんで医療技術の低い医療者に、その国の人間だからいう理由だけで診てもらわなければならないのか? 世の中にはもっと良い医療者が、たとえ国籍が違っても、安い値段で医療を提供してくれるかも知れないのに。 国家という仕組みが人々を不幸にしている。 情報や食糧や物品は簡単に国境を跨ぐのに、なぜ、医療はこんなにも制約が多いのだろう? 日本政府もどこの国々も似たり寄ったりだが、その国の製品を売るために予算を付け、補助金を付け、企業を後押しして海外に出ていく。 物が溢れる時代に、メイド イン ジャパンだと誇らしげにそのようなことをしても、もう尊敬や信頼はかつてのようには獲得できないと何故、分からないのだろう? これから未来のホントの国益はどのようなものになるのだろうか? 物を売ったり、ODAで中国の数分の1程度の予算を付けることがホントに国益になるのだろうか? 医療が必要な貧しい人々を無償で20年救い続ける事は、日本の為になっていないのか? ミャンマーで死んでいく子ども達のために、生体肝移植や心臓病の治療や技術移転をしていることは、日本の為になっていないのか? カンボジアで酷い生存率だった小児がんの治療を日本で最高の医療チームがいま、行っている事は日本の為になっていないのか? 日本の役人達は、NGOを低く見ている人間が多い。 ホントに私たちが正しいと信じる事など認めもしないし、そのように柔軟性を持たせる事もしない。ただ、自分達のルールに合わせなければ何も認めない。 だから、政府からの予算など制約が多過ぎてもらってられない。 個性など潰されるか封印されてしまう。 何のためにそれぞれのNGOがあるのかも意味をなさなくなってしまう。 政府が”これからは多様性が必要なのだ”とうそぶいても、やってることは中央集権の画一的なやり方のままだ。 NGOなど対等だとは思ってないのだろう。 政府は国民から税金でお金を集め、それを再分配するのが役目だが、そこに制約が多く付けられバイアスが大きくかかるのは、ホントに国民の希望通りなのか? 私が考える”国民に対する正義”は、より素晴らしい活動に税金を投下することだと思うけど。 どんなに立派な活動をしていてもまあ、日本政府から声をかけてくることはない。 それは不公平になるという理屈なのだと思うけど。 だから、いつもこちらから申請することになる。そうなると評価するのは向こうで、評価されるのはこちらになる。で、結果的に上下関係ができ上がるという悪循環だ。NGO関係者がペコペコしてる姿を見るのは悲しい気持ちになる。 だから、苦しくて大変でも自分でお金を集めるしかないのだ。 けれど、私は諦めない。 なぜなら、 私のミッションは 既存の境界線を消すこと だから。 たとえ苦しくても、政府が税金を再分配してくれなくても、この世界にある既存の境界線によって起こっている様々な障害や不公正をなくしてやろうと決意している。 貧しいから質の悪い医療しか受けられないという常識を壊してやろう。 メイド イン ジャパンは物の質だという常識を壊して、「メイド イン ジャパンとは無形の日本人達の高い精神性」を指す言葉に変えてやろう! 多くの人々がここに集ってくれることを願う。
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