みんなのブログ - 場のちから

海を越える看護団

場のちから (2018-7-1 5:22:53)
場のちから 場のエネルギーというのはやはりあると思う。 最近のパワースポットブームなんかでもそういうことが流行っているけれど、私自身にはそういうことを特別に感じたりする能力があるわけではない。 スポーツの試合でアウェイという言葉が使われるとき、そういうイメージがあるのだろう。 ある人と一緒にいるときに、とても幸せに感じたりするとするとおそらくその場は安定していることになる。 私の場合、手術室の中でよくそれを感じたりするけれど、その1つの閉ざされた空間を自分のリズムでコントロールしたいと強く思う。その中で誰かが自分のリズム以外の音や動きを発すると自己のリズムの著しく乱されるのがよくわかる。 それはまさにオーケストラの指揮者のような感じだと思ってもらうとしっくり来ると思う。 この場のリズムが乱されるといい演奏があり得ないように、スムーズな手術は難しくなる。リズムの乱れはミスを誘発する。 誰かが何かを落とした音や私語、咳払い、歩く動きや音さえ私には、そちらに意識を引っ張られていることがよくわかる。 音楽的才能がない私には指揮者との違いはよくわからないけど、本当に自分が最高の状態にあるときというのは、術野に意識が縮小固定された、ある一ヵ所をとても密度を高めた状態ではなくて、手術室の全体を見渡すような意識で、その中で術野には他より高い密度は投下されつつも、他も十分に意識下に置かれた状態を意味する。 指揮者は間違った音が出されたり、予想したタイミングで音が来なかったり、予想と違う音色を出されたりしたときにどんな状態なのだろうか? 脳が予想外の情報を与えられると、私の場合、妙にそちらに意識を持っていかれる。そしてそれを回復するのに結構、時間が必要になる。この間、術野ではベストパーフォーマンスが成し遂げられない時間が続く。 脳が予め予想していない出来事がもちろん術野の中で起こっても同じで、予想通り動かない助手や突然吹き出した血液でさえもリズムが狂うことが多い。 たとえ優秀であっても新しい人と一緒に手術を行うとリズムの調整には時間がかかる。 脳は未経験の事柄への調整には時間がかかるのだと思う。 ついでにいうと、このリズムはその人に特有なもので他のリズムで代用は効かない。手術の時、音楽をかけたり、メトロノームを動かしたり、おしゃべりをしたりする人がいるけれども、私はそれはしない。生来のリズムではなく代用したリズムではいくら安定していても決してベストの状態にはなれないと信じているからだ。 手術のみならず物事を進めるとき、私が最も意識しているものの一つがこのリズムであり、リズムから作り出される場のちからである。 場のちからはその中心になるもののリズムによって作り出されたエネルギー場といういい方ができるかもしれない。この場との相性はその場に存在する人間にとってはとても大切になる。 まさに神社やお寺や古い樹木を中心に形成されているパワースポットのようなイメージ。 ある人はそれをある種の雰囲気と表現するかもしれない。 常にこの場を作り出すことを意識している。 この場は一定の周波数のリズムによって統一された世界ということになり、その周波数以外の存在はその周波数を変えてアダプテーションするか、その場から出るかという選択になる。 この場を上手く作り出すことができれば、能力が多少低い人がいてもそのリズムの流れに巻き込みながら結果的に合格点のレベルまで持っていける。 なぜあの時、あのような行動をしてしまったんだろう? とか、なぜあのように考えたのだろうかというのはその時の場の影響をかなり受けていると思う。 この場とその人間との関係性を上手く利用することかできれば、もしかしたら能力以上の結果を持ってこれるし、無意識にしろ場の選び方を間違うと能力が発揮できないということになる。 ある空間に入った瞬間に、まず、場と自分との相性を感じとり、それは時として暗いとか明るいというイメージとして伝わって来るかもしれないが、悪ければ離れる、勝負しない、長居しないと心掛ける方が懸命かもしれない。 自己の能力や性質は相手や周辺環境や時間的なタイミングとの関係性の中にあることをくれぐれも自覚する必要がある。 過去上手くいったのもそれが良かったからであり、くれぐれも自分の能力だけでそれを成し遂げたと思わない方が賢明。 この時代のこの時期に、この事柄をその人がしたから上手くいったということ。 リズムと場ということを少し意識して生きてみると世界を違う角度から理解できるかもしれない。
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