みんなのブログ - 息あるもの

メープルの日記

息あるもの (2010-5-21 10:05:32)
先週半ば、友人の一人が亡くなりました。 彼女は3年の間、がんを患っていて、闘病の末でした。 まだ40代の若さで、後には3人の男の子たちが残されました。 息子さんの一人は、りきのクラスメートです。 今週末には、彼女のメモリアルサービスがあります。 彼女とは、彼女が病気になってから友達になったので、闘病生活そのまんまが、彼女との思い出です。 亡くなったその日、ご遺体にも会ってきました。 わしの母は4年前に亡くなったけれど、それは、何の前触れもなくとつぜんのことだった。 友だちは、とことんまで病気と闘ったわけだから、必然的に亡くなりようも、わしの母とは、まったく違ったものだった。 そして、やっぱり遺体にも、その人のヒストリーが出るもんだな、と思った。 今回のことでも、ほんとにいろんな、感情がまきおこったし、たくさんの気づきがあった。 わしらは、生れ落ちたが最後、例外なく”死ぬ”ということ。 そして、間違いなく ”死体” になるということ。 ご遺体に会ったあと、そのホスピスのロビーで、同じようにそこに来ていた友達と少し話しをしていた。 そんなときも、 ホスピスの各部屋からは、そこに入居している人々のもとへ、入れ替わり立ち代り、いろいろな人が出たり入ったりしていた。 その人たちを見ていて、 「ああ、あの人も、このひとも、絶対” 死体 ”になるんだわ〜。」と思えて仕方がない。 「あっちも 死体 、こっちも 死体 」と、人々を思わず’ガン見’している自分に気がつく。 「あら〜、あんなにおっきい体で、死体になったら、周りの人はさぞかし難儀するだろうな・・・」などど、死体の目利きのような想いでいっぱいに。 帰宅後も、「わしが死んだら、死後2,3時間で子どもたちに見せてくれ。5時間後はもう、誰にも見せないでくれ。」と旦那にお願いしておいた。 それはさておき、 ” 死体 ”のなかには、明らかに命がなく、魂が、そして霊が宿っていない。 それは、本当に一目瞭然で、旦那さんでも「ああ、これは、彼女じゃない。」と言っていた。 わしが見ても、それはもう彼女のようではなかったのです。 人間というのは、この肉の入れ物に、 息 があるのと、ないとのとで、これほどの違いがあるのか!と驚くばかり。 たった昨日まで、 息 あって動き、まさにその人であったものが、もはや、別のものになっているようだった。 聖書は、 「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻に いのちの息 を吹き込まれた。そこで、人は、 生きもの となった(創世記2章7節)」と言っている。 ”肉体は、 息 を入れられて、動き出している”という表現が、まさしく本当なのだ!ということが実感できた。 わしらは、肉に 息 を入れられてから、それが取り去られるまで、生きることができる。 その間だけが、与えられたリミットなのだ。 そして、 息 がなくなったとたん、肉体は急速に、刻々と朽ちてゆく。 まさに、息があるうちだけの” 生もの(なまもの) ”! ”生きもの(いきもの)”は、実に、”生もの(なまもの)”であった。 神が創った土人形が、 息 あるうちにつかまねばならないものは何なのだ? そして、死体になることが、どんな人でも避けられないのならば、 息 あって生かされていることと、死体になることに、 ” 生と死 ”に、 それらに対する” 解決 ”がないと、やってけない。 あるとき突然、死の恐ろしさが、その大きさが、自分を覆う日が来るからね。 わしらには明確な答えが必要だ。 亡くなった友人は、本当に心が全き平安であった。 何の心配もないって言ってたし、天国を本当に楽しみにしていた。 すばらしい神様の取り扱いをうけていた人でした。 土人形が息あるうちに知らなければならないこと、 生と死への解決 、 これらへの答えを持っていたならば、鬼に金棒。 あるひとは、「悩み、答えを求めていくプロセス自体が人生だよ。」なーんて言ってるけど、 それは答えを先延ばしにしてるに過ぎない。 わしらは、この一瞬の後にも、もう生きてはいないかもしれないから。 気をつけて。
広告