みんなのブログ - 23. [二次性白血病] 寛解

てつてつ子鉄のおでかけ日記

23. [二次性白血病] 寛解 (2018-1-8 13:37:36)
2016年11月2日から化学療法を開始したが、胸の痛みと咳がひどく、全身の炎症反応が高いため、中心静脈カテーテルの留置手術は後回しにして、腕にカテーテルを入れて点滴・静注を行うことになった。寛解を目標とする第1ブロックは、2日から6日まで5日間エトポシド(VP-16)、4日に髄注、7日から5〜7日間キロサイド(Ara-C)とミトキサントロン。エトポシドの効果で、白血球の値は治療前の44,000から11月6日に4,000まで下がり、炎症反応を示すCRPも6前後から3程度まで下がってきた(正常値は0.3以下なのでそれでもかなり高い水準)。7日にキロサイドを入れ始めてから、免疫力低下の影響で感染が増悪したのか高熱が出て、胸の痛みもさらに悪化。肺炎から胸膜炎になっているらしい。これまで治療慣れして我慢強い長男でも、この痛みは耐え難く、治療用の麻薬を使い始めた。食事もほとんど喉を通らなくなり、売店でアイスクリームを買ってきて、他の患者に分からないようこっそり食べさせていた。小学校6年にもなると、幼児や低学年の時とは異なりプライベート重視で、常にベッドの周りをカーテンで覆っていたので、隠れて持込の物ばかり食べるようになった。成育の病棟ルールは結構厳しいというか融通が利かないところが多いが、ありがたかったのは、先生方は本人の生きる力を優先する考えらしく、食べたいもの、食べられるものがあるなら衛生状況にさえ注意してもらえれば持込も仕方ない、というスタンスだった。 11月11日、胸膜炎はじめ全身状態が悪く、CRPは12に増加し、一方の白血球は580まで低下。薬剤の効果は出ているが、これ以上の抗がん剤は危険が高いため、キロサイドは前日までの4日間で中止することになった。後から振り返れば、長男の状態悪化と、抗がん剤治療のギリギリのせめぎ合いという非常にクリティカルな状況だった。この後も輸血や支持療法の薬剤を入れながら、抗がん剤が効いてくるのと胸膜炎の改善を待つことになるが、16日には嘘のように胸の痛みが無くなり、胸だけでなく腎機能や肝機能も改善してきた。胸のCTを取ったところ胸膜炎も肺炎も治っていた。CRPは1まで低下。この後24日頃まで白血球は500前後で推移し、赤血球、血小板も低いため輸血をしながら体力回復を待つ。25日には血球回復が見え始め、28日に白血球2,000、血小板37万まで回復したためベッドのクリーンウォールも外し、30日から12月4日までの一時退院が決まった。 第2ブロックの治療のために再入院し、12月5日に中心静脈カテーテルの留置手術と骨髄検査を実施。白血病細胞は消えており、寛解を確認できた。血球もほぼ完全に回復し、腎機能、肝機能とも正常に戻っており、6日から第2ブロックの化学療法を開始した。寛解をより深める目的で、造血幹細胞移植のスケジュールに応じて、第2、第3、第4と繰り返すらしいが、長男は家族が骨髄ドナーになることが早々に決まったため(後述)、第2の後に移植前処置に入る予定だ。 12月6日から最初の3日間は、10時〜13時キロサイド点滴、16時〜18時エトポシド点滴、22時〜1時キロサイド点滴を繰り返し、初日のみさらにその合間を縫ってイダマイシンの点滴と髄注(メトトレキサート、キロサイト、ハイドロコートン)と、かなり忙しい。9日と10日は、エトポシドだけ継続し終了。5日間で大量の抗がん剤を投与する強化療法である。骨髄抑制は12日頃から影響が見え始め、14日に白血球が470まで下がりクリーンウォールをベッドに取り付けた。今回は11月の過酷な状況とは打って変わって平穏で、成育の院内学校「そよ風分教室」にも登校し(クリーンが付いてからはベッドサイド授業)、特に大きな問題も起こらなかった。26日には血球が回復し始め、12月28日に一時退院。年末年始ということもあり1月4日まで長めの退院で、自宅でお正月を迎えることが出来た。
広告