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ポコ  (2017-3-27 9:27 )

初めまして。2月28日に最愛の息子を亡くしました。毎日本当に苦しくて押しつぶされそうで。寂しくてなんのために生きているのかわからなくて何もする気にならなくて。外に出るのも友達と話すのも辛くて。でも誰かに聞いてもらいたくて。こちらに書き込みさせて頂きます。

昨年の1月20日に子宮外妊娠をし、卵管切除手術をしました。その時の心境は絶望と悲しみと不安でいっぱいでしたが、有難いことに避妊期間がすぎ、すぐに息子は来てくれました。
1月26日に早期胎盤剥離を乗り越えて、頑張って産まれてきてくれた息子。奇跡の子だと思いました。少し小さめに産まれたのでおっぱいを吸う力が弱く、また私の胸も小さかったので授乳時間は大変でした。甘えたで抱き癖もついて、夜通し抱いて、毎日睡眠不足でした。でも我が子は可愛くて可愛くて言葉に出来ないくらい愛おしくて。夫や両家の両親(双方にとって初孫でした)、弟の嬉しそうな顔を見るのも嬉しくて本当に毎日幸せでした。便も鼻くそも息子の何もかもが愛おしくてたまりませんでした。

里帰りは義理の両親のところで過ごし、1ヶ月たったので実両親のところでもう1ヶ月過ごす予定でした。気を使って過ごした1ヶ月、やっと実家に帰れた安堵感で気が緩み、おむつを買いに弟の運転で息子を抱いてほんのちょっとそこまで買い物に出かけました。その帰り際人生が変わりました。あと2分で家に着く。そんなところで信号無視をした20トントラックが私達の乗る軽自動車に突っ込んできました。私は意識を失ったのですが警察の方によると3回転したそうです。後部座席で眠っていたので事故の瞬間は目をあけると真っ赤で何が起こったかわかりませんでした。何度か意識を失ったり朦朧としたり、手術の麻酔で眠ったりを繰り返し、はっきり意識がもどった時は病室のベッドの上でした。主人に息子のことを聞きました。思い出すのも辛いです。息子は傷1つなく綺麗でした。生後1ヶ月のため脳の揺れが原因でした。

あんなに毎日ちゃんと息をしてるか確認したり、1ヶ月の間病院へ何度か行く時も毎回チャイルドシートをつけて(取り外しできるタイプでした)まわりから神経質になりすぎないようにと注意されるくらい大切に大切に育てていたのに。友人から「退院の日はチャイルドシートつけてなかった、抱いてた方が安心」という声、外出する直前に「生後1ヶ月過ぎたので昼夜逆転してる場合は昼間外の光浴びさした方が良い」と助産師さんからの電話のアドバイス、「あまりにも眠らないから心配でドライブして眠らせてた」という上司の声がよぎり、やっと実家に帰れて気が緩み、外出してしまったあの日の自分。くやしくてたまりません。毎日涙が止まりません。せめずにはいられません。

携帯のインターネットを開くと、赤ちゃん夜泣き、完全母乳などの検索でいっぱいでしたが、今は仏壇や子供を亡くした親の気持ちなどの検索でいっぱいです。事故後母乳が出続けて痛かった。今までは息子が吸ってくれてたから軽くなったのに。そんな息子がもういないなんて。妊娠中にお腹の息子に話しかけながらスーパーに行ったりしていたので、近所を歩くだけでも辛いです。自宅マンションに息子を迎えいれる準備が万全で赤ちゃんコーナーを作っていたのでマンションに帰るのも、1ヶ月息子が来ていた服やバスタオルをしまうのも辛いです。まだ今は実家にいます。

同い年だねと言っていた友達が6人もいて、妊娠中の友達も3人と今は出産ラッシュで。正直なところ友達に会えそうにもありません。頑張って産まれてきたのにごめんねと罪悪感でいっぱいです。3回転したので、私も生きてるのが奇跡(退院出来てます)、息子が守ってくれたと言われましたが、お腹の中からずっと一緒にいたのになんで私は置いていかれたのか、なんで息子じゃなく私が助かってしまったのか。くやしくて悲しくて辛いです。主人は私を責めることなく、2人ととも失っていたら気が狂っていた、生きてくれてありがとうと言ってくれているので息子の後を追うことはしてはいけないと思っています。

でも後を追わずに大好きな、やっと会えた息子に会えないまま生きていくのが辛いです。毎朝起きるたびに寂しさと絶望で1日がはじまります。息子の顔、しぐさ、病院で息を引き取ったあの光景、事故の瞬間、妊娠中、出産時の思い出が毎日ぐるぐるまわります。幸せの絶頂で家族みんな笑顔だったのに、今は暗くて涙ばかりです。辛い、寂しい、息子に会いたい。

時間が解決すると聞きますが、一生こんな状態なのではないかと不安です。マンションで主人が帰宅するまで1人で暮らせるのか、友達と会えるようになるのか、心から笑える日がくるのか…。いまはなにをしても辛いです。何かアドバイスを頂けたら嬉しいです。長々と書き込んでしまいましたが、最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。

sayamama  (2017-3-27 23:31 )

ポコさん、初めまして。難病の娘を13年間の闘病の末、20歳で喪ってしまったsayamamaと言います。
現代医学では治療法のない難病、しかも非常に希少例だったため、長くは生きられない事は考えていました。それでも娘を喪う事など考えたくなくて、絶対治る、この子は助かる、私が守ってやる、と気合で私も13年間戦いましたが、奇跡は起きませんでした。

13年いつも頭の片隅に「死」を考えない日はなかった私でさえ、いざ娘を亡くした時は強いショックを受け、最初は信じられず、次に毎日一緒にいた娘と会えない日がたつにつれ、本当になくなったのだという実感がわいてきて、苦しくて辛くてどうしていいかわからずに、壁やベッドをたたき、絶叫して泣く日々でした。

私でさえそうだったのですから、ポコさんの苦しみ、悲しみはもっともっとお辛い事と思います。子供を喪って自分を責めない親はいません。私も娘が嫌がるのに、副作用を気にして薬を減らしてもらったことが、結果的に病状悪化につながったようで、毎日自分を責め続け、罪の意識から逃れるために自傷行為までしました。

私も当時、夫と娘と3人暮らしだったので、夫が出勤してから帰って来るまで、本当に気が狂いそうでした。だから、少しでも気持ちが落ち着かれるまで、ご実家におられる事をお勧めします。本当は旦那様も一緒に同居して下さるといいんですけどね。

マンションのベビーコーナーは、ご主人に頼んで片付けてもらった方がいいと思います。帰った時に辛いです。
そしてできれば、外に出られる事をお勧めします。たとえ無理やりでも。
最初は誰かと一緒に外出し、心が許せる友達がいたら、その人と会ったり、趣味があったらその関連の外出されたらいいと思います。

ただ最初は全く楽しめません。それが当たり前です。何を見ても何を聞いてもわが子を思い出し、涙があふれてきます。私は娘が亡くなって初めて、「上を向いて歩こう」の歌詞の意味がわかりました。いつ泣けてくるかわからないので、外出時はサングラスにマスクが欠かせませんでした。
できれば、お仕事されることもおすすめします。私の中ではこれが一番効果がありました。仕事中は仕事に集中しなければならず、他の事を考える暇があまりないからです。

心療内科にも通いました。自分に合うクリニックをみつけるまで、ドクターショッピングの日々でした。今やっとカウンセリングと投薬をしてくれる所をみつけ、私に合う薬も処方してもらえて、悲しみは減りませんが、少しは苦しみが減って来ました。

でもここまでくるのに、4年近い歳月を費やしました。最初は時間薬などない、と思いましたが、今はあると思ってます。悲しみはいつまでもあります。でも自分を責める事はある程度したら、あまりやらなくなります。とことん責めたら飽きてくるのか、自分を苦しめないための自衛なのかわかりませんが。

今は出口の見えない真っ暗なトンネルの中にいるお気持ちだと思います。でもそこには、ご主人さまもいます。このサイトに訪れる仲間たちもいます。ポコさんは決して独りではありません。そしてこのトンネルにも必ず出口はあるのです。私はやっと遠い所に、淡い光を見つけたような気持ちになってます。

死後の世界を信じることは、わが子との再会を期待できるので、そういう本を読まれる事もおすすめします。私は今、東日本大震災で家族を亡くした人が、その後不思議な体験をした「魂だけでもそばにいて」という本を読んでいますが、体は滅びても魂は存在してるのだと、感じることができました。

江原啓之さん、飯田史彦さん、武本昌三さん、エリザベス・キュプラー・ロス、シルバー・バーチなどの著書がお勧めです。

ポコさんご自身も、心と同時に事故で身体も普通の状態ではないでしょう。どうかくれぐれもお身体ご自愛下さい。そしてたとえ短い命でも、お子さんが生きた証を残す事も考えてみてください。色々方法はあると思いますが、一番の方法は、ポコさんが生きていてあげることです。そうすればお子さんは、ポコさんの心の中で生き続けるのです。ポコさんや家族の皆さんがいなくなれば、それこそお子さんの存在は誰にも知られなくなってしまうから。
私もそう思って、歯を食いしばって生きています。私が死ねばあの子も再び死んでしまう、そう思ってどんなに辛くても生き続けよう、と今は思えるようになりました。

lostinthesky  (2017-4-1 22:24 )

ポコさん
少しはご飯食べていますか?眠れていますか?
衝撃的な事故の後、なかなか元の生活に戻るのは辛いですよね。無理せず、今は自分と天使の赤ちゃんを思いいたわり過ごすといいと思います。
私も昨年夏に8ヶ月の息子を突然亡くしました。愛する我が子が次の瞬間からいないのは、想像を絶する痛みと絶望です。救いになりませんが、まだその痛みは続いています。唯一、かわったのは、少し人前で取り繕う事は出来るようになりました。

無理をしてはダメですよ。泣きたいだけ泣いた方がいい。
そして、事故を思い出しそうになったら、ポコさんの可愛い赤ちゃんの幸せな顔を思い出してみて下さい。ほんの少し楽になると思います。

ポコさんの可愛い赤ちゃんの事、もし良ければどんなお子さんなのか教えてくれませんか?

ポコ  (2017-4-7 11:29 )

sayamama様

はじめまして。コメント本当にありがとうございます。泣き狂う毎日で、押しつぶされそうな時、なんどもなんども読んでいます。嬉しかったのですぐにお返事したかったのですが、心が不安定でなかなか書けませんでした。申し訳ございません。まだまだ悲しみのどん底で毎朝起きるたびに自分が生かされていることに虚しさを感じるところから1日が始まります。幸せだった毎日が嘘みたいです。

まわりは子育て世代、妊婦さんがほとんどで友人達からは「同じ子供を持つ親として悲しみはわかるよ」「苦しいと思うけど応援してるからね」「待ってるからね」「〇〇(私の名前)ならきっと乗り越えられるよ」と精一杯のエールを貰い、ありがたいと感じてるものの、皆んなが思ってる以上に辛くて立ち直れそうにもない私のことは誰にもわからないだろうなと思ってしまいます。友達達とはよく会っていたのですが、今は会えそうにないです。いつになったら会えるようになるか不安だし、友達を失いたくないと思う反面、会いたくもないので自分がどうしたいのかもわからない状況です。

そんな中、同じ立場のsayamamaさんからコメントを頂けて本当に嬉しかったです。13年間の闘病、突然の事故、境遇は違いますが子供を失ったという同じ悲しみを持った人からの言葉。sayamamaさんのコメントを読んで少し救われました。

お子様のことも教えて下さってありがとうございました。正直なところ、今が苦しすぎて交通事故で子供を失うのが世の中で1番辛いと思ってしまってましたが、sayamamaさんの文章を読んで闘病の辛さ、大変さを知ることが出来ました。子供を失うという悲しみは同じなんですね。自分を責めない親はいないというsayamamaさんの言葉と実体験を教えて頂き少し胸が軽くなりました。

主人は主人の実家に帰っていて、休みの日に会っています。四十九日が終わったら仏壇も届くのでマンションに帰る予定をしています。まだはやい気もするので不安ですが…。

外出した方がいいんですね。私もいつ泣くのかわからなくて不安だったのですが、サングラス良さそうですね。何をしてても楽しくないので外出する気にならなかったのですが挑戦してみようと思います。主人が自営業なので、お仕事をするとしたら主人の職場でしか仕事が出来ません。(他へ働きに出るのを嫌がるので)でも従業員さんと顔をあわすのが辛いのでなかなか仕事する気にもならないのですが、それでも仕事に出た方がマシになりますか?迷っています…。

トンネルの出口はあるのでしょうか。毎日泣き続ける状態がいつまで続くのか不安です。sayamamaさんは4年もの間毎日このような状態だったのでしょうか?はやく光を見つけたいのに見つかる気がしなくて不安です。友人とも会いたいような会いたくないような自分がどうしたいのかもわからない状態です。

本のアドバイスもありがとうございました。早速エリザベスの本を一冊買ってみました。これから読むつもりです。子供が生きた証を残す…そう考えたら頑張って生きようと思えますね。後ろ向きなことを考えてしまいそうになった時に、そのように思いなおせるように頑張ろうと思いました。sayamamaさん、心優しいお言葉本当に感謝します。ありがとうございました。

ポコ  (2017-4-7 13:41 )

lostinthesky様

コメントありがとうございます。
ご飯は不思議なくらいしっかり食べれています。ただ、朝起きたときのとてつもない喪失感が怖くてあまり眠れていませんが、身体を回復させるためにもはやく眠れるようにしないといけないなと思っています。

lostintheskyさんも同じような経験をされたのですね。まだ痛みが続いているとのことですが、どんな状態ですか?今まではどのように過ごされたのでしょうか。

まわりからはまた子供を作るといいと言われているのですが、子宮外妊娠と今回の事故と続いたので怖くもあり、息子のことを考えると次に進めそうにありません。でも、赤ちゃんの可愛さを知ってしまったので、もう一度我が子を抱きたいという気持ちもあります。今の気持ちの状態のまま子供を考えるのは難しいので落ち着いたら…と思うのですが、この先落ち着く日は来るのかなと不安です。

息子は主人にそっくりで小さな赤ちゃんでした。入院中からよく笑顔を見せてくれて、泣いても抱くとすぐに泣き止んでました。お風呂が好きなのか、沐浴中に渋い顔をするのもたまらなく好きでした。小さめだったのでおっぱいを吸う力がしっかりついていなかったので吸いながらよく寝てしまってました。広い大きなお布団の真ん中でちょこんと寝ていて、起きると手足をバタつかせて寝ていた姿もとても愛おしかったです。ほっぺたがぷにぷにで気持ちよく、鼻が大きいので鼻くそがとりやすく、一時も離れたくないくらい可愛くて愛おしくてたまりません。長々と話を聞いてくださって本当にありがとうございます。

sayamama  (2017-4-9 9:29 )

私の経験や投稿が、少しはお役に立てたようで、とても嬉しいです。トンネルの出口は必ずあります。今は信じられないでしょうが、どうか信じて下さい。でも出口をみつけるには、ただ同じ場所でとどまって泣いてるだけでは、みつける事ができないんです。後ろを振り返りながらでも、少しずつ前進するには、自分で努力しなければ、いつまでもこの生き地獄から抜け出せません。

朝辛いですよね、わかります。私もいまだに朝が来ると、虚しい気持ちでいっぱいになります。また今日1日生きなければならない、まだ生きるんだ、と早くに亡くなった娘には申し訳ないけど、早く娘の側に行きたいとばかり考えるのは変わりません。

1人で家に篭っていると、とにかく泣いて苦しいだけ、というのがわかったので、最初は夫に無理くり連れ出されて外出しました。子供連れ、幸せそうな家族を見るだけで涙、涙。綺麗な花を見るのも辛かったです。でも不思議と、緑の木々を見ると心が和みました。当時東京に住んでたので、明治神宮に好んで行ったものです。

そして、友達が会おうと誘ってくれば、気持ちを奮い立たせて会いました。ドタキャンするかもしれない、と前もって話して、わかってくれる友達とだけ会いました。最初は会っても楽しめず、来なければよかったと後悔する事もありましたが、そのうち少しずつ気が紛れるようになりました。

離れて行った友達もたくさんいますよ、でも所詮そんな人とはいつか別れる運命なんです。今も残ってくれてる友達が、真の友達です。

子供を亡くした親の会にも出て、同じ立場の人に話を聞いてもらうのは、私にとって良い方に向かいました。そこで知り合った新たな友達と、LINEしたり時々ランチしています。

仕事に出れるようになったのは、3回忌が終わってからです。それまでは、娘の写真も見る事ができず、遺影もしまい込んでました。

毎日泣かなくなったのは、つい最近。多分心療内科で出してもらった薬が合ったせいもあると思います。それでも時々思い出しては、やっぱり泣けてきます。

人にはそれぞれペースがありますから、焦る事はありません。たぶんポコさんも、今すぐ友達と会ったり、仕事するのは辛いと思います。まずは御主人と休日に外出から始め、少しは会おうかな、と思えるようになったら友達と会い、1日泣いてるのに疲れたら仕事してみるといいと思います。仕事先をみつける必要もなく、御主人と一緒に働けるのは、いい環境だと思いますよ。

えてして、母親より父親の方が立ち直りが早いのは、自身の体で子供を育て、産みの苦しみを味わって無いことも大きいけど、男性は辛くても生活のため、早くから仕事に復帰しなければならない、という事も関係してるのではないか、と私は思います。

とにかく無理なさらず、ちょっとだけ努力して、ゆっくり進んでいきましょう。
私も急にこんな風に考えれたわけではないんですよ。
ここには娘を亡くしてすぐからお邪魔してますが、去年くらいまでは「前なんか向きたくない、前を向いても娘がいないから、娘のいた過去ばかり見ていたい」と書き込んでました。

過去のトピックに残ってますので、よければ見てみて下さい。私が少しずつ変わって来たのが、おわかりになり、少しは将来を憂うのが減るかもしれません。

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